日本の刺青(入れ墨)文化について

日本における刺青(入れ墨)文化の歴史をさかのぼる

当ブログではこれまでにも刺青(入れ墨)について取り上げてきましたが、今回は特に日本における刺青文化の歴史について振り返ってみたいと思います。

刺青、入れ墨、タトゥーなどの言い回しの区別については深く追求しません。

刺青に対する一般的なイメージと現代の認識

刺青と聞くと、多くの方がヤクザや反社会的組織を連想するかもしれません。そのような印象を持つことは不自然ではありません。実際に、刺青を入れているヤクザが多いという話もあります。「怖い」と感じる方もいるでしょう。

しかし、30年前ならいざ知らず、現代ではこのような認識は時代遅れになりつつあります。


刺青の起源と江戸時代までの歴史

日本では、紀元前から刺青が存在していたとされています。中世には、犯罪者に対する刑罰として特定の印を彫り込む「烙印」のような役割を果たしました。

江戸時代になると、刺青は芸術性を持つ文化として発展しました。特に浮世絵の影響を受け、和彫りという独自のスタイルが生まれました。これは町人階級の間で流行し、個性や美的感覚を表現する手段として親しまれました。


明治時代の禁止と地下文化への移行

一方で、明治時代に政府が西洋化を進める中で、刺青は「野蛮な風習」として批判されました。1872年には法律で禁止され、刺青文化は地下へと追いやられることになります。この時期から、主にヤクザや犯罪組織の間で刺青が受け継がれたとされています。

また、刺青に対する偏見が社会に広がり、銭湯や温泉では刺青者の入場を禁止するルールが形成されました。このような規制が、刺青=反社会的というイメージをさらに強固にしたと言えるでしょう。


海外での評価と和彫りの再評価

興味深いことに、日本の伝統的な和彫りは海外で高く評価されました。その影響を受け、日本国内でも和彫りが再評価される動きが見られます。刺青文化が必ずしもヤクザ発祥のものではなく、日本の伝統文化の一部として見直される機運が高まっているのです。


刺青を取り巻く現代の課題

日本では依然として「刺青=ヤクザ」という偏見が根強く、暴力団対策法の影響もあり、一般企業では刺青をタブー視する傾向が続いています。そのため、大手企業がスポンサーとなるスポーツでは、刺青がまだ市民権を得ていないのが現状です。

例えば、日本ボクシングコミッション(JBC)のルールでは、「刺青など観客に不快感を与える風体の選手」は試合に出場できません。選手が試合に出場する際は、ファンデーションなどで刺青を隠す必要があります。
2020年大晦日のWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチでは、井岡一翔選手がタトゥーを露出した状態で試合を行い、議論を呼びました。


ダーツ選手と刺青文化

プロダーツプレイヤーの中にも刺青を入れている選手は少なくありません。ダーツ界は多様性に富んでおり、それが競技の魅力の一つです。時代の流れを踏まえつつ、刺青に対する偏見を少しずつ解消していくことが求められるでしょう。