レーティングとレート、どちらが正しい?言語学とダーツ文化から徹底解説

ども、武器商人です。

僕が今のアカウントでTwitter(現X)を始めたのは2018年4月。その中で「レーティングとレートはどちらが正しいの?」という論争を何度見てきたかわかりません。

そして毎回、結論とその根拠はほぼ同じです。

・レーティングが正しい
・レーティングとレートは英語の意味が違う
・ダーツライブもフェニックスも正式には「レーティング」と表記している

──ここまでが“定型文”のように繰り返される主張。

でも、ここで一つ大きな疑問があります。

じゃぁ…なぜ「レート」を使う人は減らないのか?

ここからは、言語学・社会言語学・ダーツ文化の観点からその理由を紐解いていきます。

社会言語学の鉄則:レーティングもレートも“間違いではない”

まず大前提として、
レーティング/レート論争は“正しい・間違い”の話ではありません。

言語学には有名な原則があります。

「言語は規範ではなく慣用に従う(Language follows usage, not prescription)」

つまり、

・公式サイトにどう書かれているか
・英語の辞書でどう定義されているか

これらは“参考情報”でしかなく、
実際に使われ、意味が通じている限り 誤りとは言えない のです。

辞書は言語を決める存在ではなく、
使われている言葉を後から記録するもの

だから「レート」という語形が広く流通し、コミュニティ内で意味が共有されている時点で、
社会言語学的には完全に成立した“変種(variant)”。

つまり、

レートは誤りではなく、コミュニティが生んだちゃんとした言語表現である。

レーティング派とレート派は“別コミュニティ”である

ここで重要な点がひとつあります。

レーティング派とレート派は、そもそも別の文化圏に属する。

この前提が理解できると、

・なぜレート勢が減らないのか
・なぜ議論が噛み合わないのか
・なぜ毎回同じ論争を繰り返すのか

が一気に見えてきます。

ここからは、言語がどこから来るのかを軽く整理していきます。

レートという言葉はどこから来たのか?

諸説ありますが、僕は以下の2つが有力だと考えています。
また、実際にはこれらが複合的に影響している可能性が高いです。

1. ソシャゲ・ゲーマー文化からの流入説

オンラインゲームでは、
ユーザーの強さを表す数値を 「レート(Rate)」 と呼ぶ慣習が一般的。

例:レート1500、レート帯、レート戦

この“ゲーマー語彙”が、そのままダーツに持ち込まれたという説です。
オンライン性が強いソフトダーツとは非常に親和性があります。

2. レーティングの省略形(語形短縮)説

もうひとつは単純に、

レーティング → レート

という短縮の可能性。

言語学では clipping(語形短縮) と呼ばれ、
ギャル語・若者語・ネットスラングでも頻出します。

ハットトリック → ハット
アプリケーション → アプリ

言葉が短くなるのは言語の自然な進化です。

3. 周囲の模倣から広がる水平伝播(diffusion)

さらに、

周りがレートと言っているから、自分もレートと呼んだ

という“コミュニティ内のコピー”による拡散も起きています。

言語は正しさより、
「仲間がどう言うか」 が圧倒的に強く影響します。

「レーティングが正しい」という主張が抱える3つの誤解

レーティング派の論拠は次の3つに整理できます。

  1. 公式がレーティングと表記している

  2. 英語の rating と rate は意味が違う

  3. 論争の結論は毎回“レーティングが正しい”になる

しかし、言語学的に見るとここには大きな誤解があります。

《1》公式=正しいという規範主義の罠

「公式がそう書いている」
これは prescriptivism(規範主義)

しかし自然言語は、

・短縮
・省略
・スラング化
・意味の拡張

が常に起こる世界。

公式の表記と日常の言語が一致しないのは当たり前です。

《2》rating=レーティング、rate=レートではない

カタカナ語は英語ではありません。

・マンション
・コンセント
・テンション

本来の意味とは違う形で“日本語化”している例はいくらでもあります。

レーティングも同様で、
英語 rating の一部の意味だけが切り取られて使われています。

つまり、

英語の意味を根拠にレートを否定することはできない。

《3》議論が毎回「レーティングが正しい」で終わる理由

これは非常に興味深い現象です。

実は、

レーティング派とレート派はタイムラインが分断されている。

X(旧Twitter)は、
似た言語・似た嗜好の投稿を同じTLに出しやすいアルゴリズム。

そのため、

レーティング派のTL:レーティング派ばかり
レート派のTL:レート派ばかり

という“別の村の中で生活している状態”が起こっています。

だから両者の議論は絶対に交わらない。

これはまさに
言語共同体(speech community)の分断

また、もしかしたらレート派の中には、ソロプレイのユーザーも多数いるかもしれない。そうしたら、なおさら他人がどう言おうが関係ねぇって話ですよね!

レート派はダーツのすそ野が広がった結果。むしろ喜ぶべき!

レート派は確実に増えています。
GoogleのAI回答でも、最近は

「レーティングもレートもどちらも正しい」

という結論が出るようになりました。

これはAIが実際の言語使用を学習し、
「レート」を一般的な用法として認識し始めた証拠。

つまり、

レートという語形は、もう“誤り扱いできないほど普及している”。

プロの方や競技層の方は、この事実をポジティブに捉えるべきです。

レート派は、

・ゲーマーコミュニティ
・ガールズバーなどのライト層
・家投げ&ソロ勢
・新規ユーザー・初心者層

こういった プロダーツを知らないユーザーの可能性が非常に高いです。そして、人数的なところを言うと、もしかしたらガチのダーツ勢よりもライト層のほうが人数が多いかもしれない。将来的にももっと増えるかもしれない。

言い換えると、

プロツアーのファンになり得る“潜在層”がレート派。

だから彼らを排除するのではなく、
うまく橋渡しすることが大事です。

結局のところ、
ダーツが好きという点は同じ。

言葉の違いなんて、本質的には些細なことなんですよね。

まとめ:レーティングとレートはどちらも“正しい”。大事なのはコミュニティ理解

レーティング/レート論争は、一見すると「どちらが正しい呼び方か」という単純な話に見えます。しかし社会言語学の視点で読み解くと、これは“言語の正誤”ではなく、

・どんなコミュニティが存在しているのか
・そのコミュニティでどんな言葉が育ってきたのか
・なぜそれぞれの文化が噛み合わないのか

という、より深い文化の問題だとわかります。

ポイントを整理すると、以下の通りです。

・言語は規範ではなく“使用(usage)”に従う
・レートは自然に生まれた言語変種であり誤りではない
・レーティング派とレート派は異なる共同体に属している
・SNSのアルゴリズムが言語コミュニティの分断を強めている
・レート派が増えているのは、ダーツ人口の裾野が広がった証拠
・プロや競技層にとっては新しいファン層と出会うチャンスでもある

結局のところ、レーティングでもレートでも構いません。
どちらの語形にも、それを使う人の背景と文化がある。

言葉の違いにこだわって相手を排除するのではなく、
「ダーツを楽しんでいる仲間」として向き合うことのほうが大切 だと僕は考えています。

そしてダーツという文化がこれからさらに拡張し、
多様な価値観や言葉が共存していくためには、
こうした“言語の揺らぎ”を受け入れる姿勢が不可欠です。

レート派が増えているという現象は、その象徴。
ダーツの世界が広がっている証拠なんだから、むしろ喜びましょう。

あなたが何と言おうと、
言語は共同体の中で勝手に育ち、勝手に広がっていきます。

だからこそ、
僕らはその変化を観察し、楽しみ、活かしていけばいい。

以上、武器商人でした。
次の文化分析もお楽しみに。