どうも、武器商人(@BukiDartsBot)です。
最近、全然ブログを更新しておりませんでした。ブログを書くには意外と労力がかかります。物理的な意味での時間も必要だけど、好奇心だとかモチベーションもすごく重要です。忙しい生活にかまけて、ダーツに対する好奇心をほとんど失ってしまっていました。コロナ渦でプロツアーは開催されていなかったし、興味を引くニュースもなかったし。
ところが、、、です。
面白いニュースが入ってきたので、久々にブログ欲に火が付きました。
それは何かというと、プロダーツ創成期に活躍して引退した伝説的なプレイヤーである松元大奉(まつもとだいほう) さんが復帰するらしいんです。
僕がダーツブログをはじめたのは2017年頃なのですが、大奉さんはとっくの昔に引退していて、噂でしか耳にすることがありませんでした。表舞台には顔を出さず、Twitterもやっていなかったので、一体どんな人なのか、どこで何をしているか、まだダーツを続けていたのか、まったくわかりませんでした。その時点では、完全に過去の人と化していました。逆に言えば、だからこそ神格化されて語らるようになったのかもしれません。
しかし、昨年、ヤンマーさん(山田勇樹プロ)の運営するYouTubeちゃんねる山田パンチ第1回に出演していました。これにはビックリしました。ただ、その時点では、復帰という言葉は一言も出てきませんでしたし、年に2回くらいしかダーツしていないとも言っていました。
参考)【第1号】『山田パンチ』新番組始まります ゲスト:松元大奉[20200612]
今回、山田パンチ第88回にて復帰の話を聞きましたので、松元大奉(まつもとだいほう) さんとは何者なのか?深堀りしていきたいと思います。
参考)【第88号】『山田パンチ』山田パンチの始まりに出演した伝説の男、生出演 ゲスト:松元大奉[20220913]
松元大奉(まつもとだいほう) さんのプロフィールや成績は?
1979年生まれ、鹿児島県出身です。
2007年のPERFECT総合ランキング5位の成績を残しました。
翌年以降のPERFECTのランキングには大奉さんの名前はありません。
山田パンチ第1回の話を聞く限り、2007年頃は、大奉さんは大きく調子を崩していて、不調で苦しんでおりました。そして、2007年の第2戦でなんとか優勝するも、もういいかなと引退を考えたらしいのです。
さて、ちょっと疑問に思った方がいるかもしれません。プロツアーがはじまった年に年間ランキング5位で、翌年には引退していると。一体、いつ活躍したのだと?記録に残っているのか?と。
この点については、2006年頃に公開されたダーツライブTVの動画を観ればわかります。動画中で、「日本で最も注目を浴びるダーツ界の風雲児」として紹介されております。また、ソフトダーツ界のレジェンドであるポール・リムも彼を認めているという発言もあったので、その時点で日本の代表的なプレイヤーであったことは、客観的な事実です。
参考)DARTSLIVE.TV #05 九州が誇るダーツプレイヤー登場!
松元大奉(まつもとだいほう) さんの腕前(実力)はどのくらいだった?
2007年というと、日本のプロダーツプレイヤーの技術も今ほどレベルが高くなかったと言われています。その2007年のPERFECTにおいて、圧倒的な数字を残しているわけではないのですからから、今よりレベルが低いのじゃないか?と思う方もいるかもしれません。
しかし、今現在も日本のトッププレイヤーとして活躍されている浅田斉吾プロが以下のように書いています。
今日YouTubeも上げさせて頂きましたが
動画では言ってないですが松元大奉さん(ノンアルプレイヤー)の
16年前の
カードのスタッツが
44の6.3
でしたけどライブだと大体
140の6ぐらいなるんかな?もう一度言います
16年前ですw
— 浅田斉吾 SeigoAsada[TheNiNjA] (@seigo_asada) September 15, 2022
ダーツライブで140の6ぐらいになるということは、今のダーツライブレーティングで18を余裕で超える実力ということです。
要するに、今のJAPANで活躍しているトッププレイヤーとさして変わらない実力を当時から持っていたということになります。
実際、2005~2006年頃のトーナメントで、大奉さんは無双していたという話も聞きます。
なお、世界チャンピオンに何度もなっている、ダーツの神様ことフィル・テイラーと一勝一敗らしいです。(公式な試合ではないらしいですが。)
松元大奉(まつもとだいほう) さんはなぜ引退したのか?
さて、松元大奉(まつもとだいほう) さんはなぜ引退したのでしょうか?
2007年のPERFECTの成績上位者を見てもわかるのですが、今も活躍している選手が大勢います。
浅田斉吾プロも1回優勝していますし、山田勇樹プロも何度か入賞しています。年齢的なところを言うと、浅田プロが1980年生まれで、山田勇樹プロが1983年生まれです。大奉さんはちょっとだけ年上ですけど、他競技でよくあるように「身体的な衰え」で引退する年齢ではありません。
それを言ったら、フィル・テイラーやポール・リムはずっとずっと年上なわけですしね。
答えは、山田パンチ第1回の放送で本人の口からそれとなく話されています。ぜひ実際に観てみて下さい。
ただ、〇〇だから引退したという直接的な言い方はされていませんので、実際に観て判断下さい。
ここから下は僕の感想です。
大奉さん曰く、フォームをクローズドスタンスに変えて、身体全体のバランスが崩れてしまっていたとのことです。それに伴い、気持ち良く投げることができなくなり、投げることが楽しくなくなっていたとのこと。
動画中で、大奉さんの絶頂期は「自信がありましたから(入る)」というようなことを繰り返し言っています。勝てる勝てないだけじゃなく、自信を持ってプレイするという精神的な部分を非常に大切にするプレイヤーだったのではないか?と僕は思います。
PERFECT2007の第2回大会で優勝していることからわかるように、結果も出していますし、勝って勝てないこともなかったわけです。
しかし、結果はさして重要ではなく、気持ちよく投げれていないことに対して、本人が満足していなかったようです。
試合ではなんとなく勝つ。カウントアップで1200点も出る。でも、試合で勝っても嬉しくない。負けても悔しくない。試合の勝ち負けなどどうでもよくて、気持ち良く投げれないことが非常に辛かったということが伝わってきます。
松元大奉(まつもとだいほう) さんはイップスだったのか?
以前、どこかの記事で松元大奉さんはイップスが原因で引退したという話を読んだことがあります。
記憶を元に検索して調べてみたのですが、その記事を見付けることはできませんでした。もしかしたら、その記事は削除されている可能性もあります。したがって、確証を持てませんが、そういう噂が出回っていたのは記憶があります。
さて、イップスには諸説があるのですが、ダーツライブさんのコラムに書いてあった定義が一番近いのではないかと思います。
イップスの定義は諸説ありますが、「ある日突然自分の思い通りにプレイが出来なくなる状態」を指します。原因がハッキリしないことが大きな問題点で、イップスになる⇒原因がハッキリしない⇒うまくいかない⇒落ち込む⇒嫌いになってしまう、というまさに「負のループ」に陥りがち。
「脳科学」がダーツプレイヤーを救う時代がやってくる!? | ニュース | ダーツライブ 日本 | DARTSLIVE
イップスというと、投げれなくなるとか、的に当たらなくなるくらい床に叩きつけてしまうという印象がありますが、大なり小なり「思い通りに投げれなくなったらイップス」という定義がピッタリ来ます。
この定義で、大奉さんの発言を検証してみると、イップスだったという話も間違いではない気はします。
しかし、本人がプロに復帰すると言っている以上、憶測であれこれ話しても意味がありません。いつか、本人に直接聞いてみたいですね。
松元大奉(まつもとだいほう) さんの参考動画
松元大奉さんと言えば、この動画が有名です。コッキングという言葉もこの動画で一番最初に使われたのではないでしょうか?詳しいことはわかりません。
よく観てみると、スローが凄いのはもちろんなんですが、スリーインザブラックを2連続決めた後の歓声もすごいですね。まるで悲鳴のようです。この盛り上がり方は今のプロダーツの試合以上と言ってもいいかもしれません。