phaさんの人気記事をつい読み込んでしまった。
無職の才能って?はて?
無職やるのにも向いてる人と向いてない人がいるよね」ということだ。具体的には「お金をそんなに使わずに時間を潰すことができるかどうか」というようなことなんだけど。
すごく面白い考察。
人間の歴史の中で、売春や賭博など昔からある伝統的な職業はあったりするものの、無職が成立した時代は無いと思う。ハンターのような生活をしていれば、獲物を取らねば生きていけないし、農耕民族であれば飢饉が起きて飢え死にするなど、頻繁にある。
王様や貴族のように、働かなくも生きていける身分は一応あることはあるのだが、高度な社交性が求められたりもするし、下手なことをして革命なんぞが起きてギロチンにかけられるということもあるわけだ。
2000年前後?くらいから、ニートや無職という言葉が社会問題化した気がするが、これは非常に喜ばしいことだと思う。
実は、僕も、半年ほど無職でダラダラして過ごしたことがある。最初のうちは気楽で楽しいのだが、段々と飽きて来る。ニュースなんかを見ていると、就職難が騒がれていたり、親や友人に「働いたほうがいいよ」と言われて、それを無視して無職でいるのは、本当にメンタルが強くないとやっていけないだろう。
無職は暇だ。暇をつぶすのにも大抵はお金がかかる。かといって、お金を使うと、お金を稼ぐ必要性が出て来るわけで、出費は少なければ少ないほうが良い。理想を言えば出費0が望ましい。そうすると、phaさんが言うように無職にも才能が必要なように思えて来る。
しかし、ちょっと待てよと。先ほども言ったように、無職というモノは、人類史上稀な職業なわけだから、そんなことが成立するような社会制度や教育制度になっていないわけだ。むしろ、無職にならないように、「忍耐力」だったり「協調性」というモノを必死に教え込むのが社会であり教育だ。
しかししかし、もうちょっと考えてみたい。最近、副業という言葉が流行っている。サラリーマンと無職の兼業っていう概念はどうだろうか?phaさんも、日本一有名なニートという肩書きではあったが、実はシェアハウスを運営したり本を出版したりと、仕事をやっている。かといって、仕事をしているのかダラダラしているのかわからないような状態で、いわゆる仕事っぽい仕事とも言えないような気がする。
この状態が、サラリーマンと無職の兼業みたいなモノではないかと思う。簡単に言うと、貧乏っていう状態なのかもしれないけど(笑)
そして、先ほど引用した、
「お金をそんなに使わずに時間を潰すことができるかどうか」
が非常に重要になってくると思う。
実は、僕は、以前、自営業をやっていたのだが、震災を機に廃業した。今は、諸事情もあり、実家で暮らしつつサラリーマンをやっている。幸いなことに、非常にホワイトな勤務形態で、年間休日が140日くらいある(有給休暇込み)。しかし、あまり給料は良くない(笑)
こうなってくると、副業とかしたくなるものだが、ホント、働きたくない。実際、一度無職をやってみて、失敗しているので、無職の才能が無いってことなんだろう。
では、、、才能無いんで努力するしかないよね?っていう結論になった。
割と、ブログとダーツが趣味だと、無職の努力をするにはピッタリなんじゃないか?と思っている。一応、広告も貼り付けているので、儲かったラッキーだけど、儲からなくても無職なんだからいいかみたいな諦めの気持ちがあるので、あまり辛くない。
仮に儲かったら、スポンサーでもしようかな(笑)あまり大きな風呂敷は広げたくないけど。。楽しみながら人生の壮大な時間潰しをするってのも悪くない。ダメだったら、このまま年老いて死のうっと。
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